イキウメ『人魂を届けに』5/27 13:00
@シアタートラム
人の心の善悪、魂の隙間を埋めた時にどちらに傾くのか、それは誰のせいなのか、みたいな
感想とぼんやり思考したことを取り留めもなく書いたものなので、そのつもりで読んでもらえると助かる。私が。
わりと唐突に回想のターンに入るんだけど、例えば八雲の妻をやる時の浜田さんが、声のトーンも喋り方も大して変えない、でも回想で違う人物ということはわかる、その境界線のなさも意図的なものなのかなと思ったりなどした。
善悪に道が分かれる時その境目は明確なものではなく、誰かが指し示した先ではないのだと、またその魂の隙間を埋めてその道を選んだのは他でもない自分であると。
公文書改竄、銃乱射、同性カップルへの差別、死刑制度への疑義等、我々を取り巻く社会問題はミクロに人々の魂を削り、それでも気付かずに平気なふりをして生きている。
平気なふりというのは他人を傷つける。本人にとっては自分を守る術だけど、なぜあなたはこれが平気なのかと、傷ついている人を突き放す冷たい殻にもなりうる。ヤマアラシみたいだ。
山鳥が迷い子を助け、元気になった彼らは街へ戻る。
山鳥はただ彼らに毛布とスープを与えるだけ。
山鳥は分かれ道に立っている看板で、道を選ぶのは自分。
なにかを教える、思想を刷り込むということをわざわざしなくたって彼らは「ありのままの自分」を受け入れられたことで、憎しみが肥大化し、あるいは哀しさを消化される。
山鳥が何かをしなくたって、むしろ何もしないからこそその道は極端に二分化する。山鳥は結果に興味がない。復讐を望まないのと同じように、彼らの行く末に何かを望んではいない。無責任に雛鳥を拾って育てて野生に返せなくなる子供のように。
その無責任な子供のような山鳥に『母性』を感じる彼らをグロテスクだとも思う。
山鳥を『母』と呼ぶ気味の悪さ。山鳥が『女』ではないからこそ生まれるもののような気もする。
人魂の声を聞くことができない山鳥は、もうすでに魂の隙間が埋まっているか、あるいは魂がなくなってしまっているのではないか。もし魂の隙間が埋まっているとするなら、それはどのようにして?このひとは前にも魂を食べたことがあるのではないか?などという考えがよぎる。
社会の中で『傷ついた』彼らを癒し、救えるのは、彼らのほしいものがわかるのは同じように社会に傷つけられた人だけ。
肝臓が悪ければレバーを食べるように、魂が削られているのであれば魂を食べれば良い。同物同治。社会に傷つけられていない陣はそこに馴染めず、しかし森を出ることもできない。
陣が2日前に森に入った八雲を追いかけて来たのに、1週間も前にあの家にたどり着いている、という時間の矛盾が提示されるにも関わらず、最後まで何も解決されないんだけど(されてないよね?)このあたりも『森』が死後の世界のような、死にゆく人がたどり着く夢の世界のような不思議さにつながる気もする。
しかし冒頭のシーンの浜田さんと大窪さんあまりにも怖かったな。私がいつも怖いと思う安定の2人だった。
押し売りではなく押し買い、一万円分の削られた魂。